マウイの概要

ハワイ諸島の地図
マウイ島の地図
ワイルクの官庁街

マウイ島カパルアからのモロカイ島
ラナイ島
 マウイ島はハワイ諸島のひとつであり、北経21度、西経156度に位置しています。ハワイ主要8島(ニイハウ、カウアイ、オアフ、モロカイ、ラナイ、マウイ、カホオラヴェ、ハワイの島々)の中で2番目に大きな島(広さは約1,890平方Km)であり人口は92,000人と3番目の島です。
マウイ島は100〜200万年前に姿を現したとされており、ハレアカラの噴火は200年前起こっており、地学的にはまだ若い島です。また地図を見れば解るようにハレアカラを抱く東マウイとフウ・クタイ山を中心とする西マウイの2つの火山が噴火によって1つの島につながったのが現在の姿になっています。地学的に西マウイは古い年代の地質をもち、長い年月により侵食された峰と緑濃い樹木に覆われた渓谷を形成しています。一方東マウイはハレアカラの噴火跡の生々しい姿を見せています。マウイ島はラハイナ、カアナパリ、カパルアの西マウイとキヘイ、ワイレア、マケナの南マウイはリゾート地として人気が高い。ハレアカラ、フウ・クタイ山は地学的、観光地としても素晴らしく人気が高い。

マウイ郡の島々
マウイ郡の中心はワイルクにあり、官公庁の施設の全てはこのワイルクに集まってます。マウイ島周辺のモロカイ、ラナイ、マウイ、カホオラヴェの4島がマウイ郡の島々です。
モロカイ島は東西が約61Km、南北が約16Kmの横に細長い島であり、マウイと同様2つの火山島が結合して1つになったものです。人口は6,700人です。島の東部は雨が多く緑が豊かな土地であるのに対して、西部は乾燥した荒野です。東部の北側の海岸線は山頂から海までの絶壁が続いており、世界一の絶壁と言われております。島の西端カルアコイにあるゴルフ場は風が非常に強く現在は閉鎖中となっております。
ラナイ島はもともとドール社が島の大半を所有し、パイナップルのプランテーションのために開発した島でした。近年はアジア産のパイナップルの台頭等によりプランテーション事業が衰退し、現在ではではパイナップル畑は栽培を中止しました。
1990年に「ロッジ・アット・コアレ」91年に「マネレ・ベイ・ホテル」のホテルがオープンし現在では高級リゾートの島に生まれ変わりました。またコアレ、マネレには各々高級ゴルフ場がオープンしハワイの人気コースになっています。島の広さは365平方Kmで、人口は2,500人となっています。
カホオラヴェ島はマウイ島の南の小さな(120平方Km)]無人島です。雨が少なく土地が荒れており農耕に適さない事もあり、かっては200人程の先住民が住んでいましたが、第二次世界大戦中に米軍に収用されその後50年余り海軍の爆撃演習地として使用されました。島は仮想敵地に見立て多くの砲弾が打ち込まれました。その後カホオラヴェ島の返還を求める市民運動により1994年に裁判所は同島のハワイ州への返還と不発弾の処理を命ずる決定が下りました。現在米軍により不発弾の処理が進められており、2005年には、一般の上陸が可能になる見込みです。

マウイの歴史
16世紀にマウイ島はピイラニ王により全体が統一されました。その後ハワイ島から攻めたカメハメハ大王が、イアオ渓谷の戦いにて勝利した事によりハワイ王朝の ハワイ島(コナ)から1795年から1845年までマウイ島(ラハイナ)がハワイ王国の首都として栄えた。その後首都はオアフ島(ホノルル)に移されましたがラハイナは捕鯨基地として繁栄しました。また、砂糖キビ他のプランテーション等が開拓され歴史ある街としてマウイの観光地の中心になってます。現在は港・空港があるカフルイがマウイの玄関として発展しています。

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